2009年7月29日滋賀県秦荘中学校の柔道部で顧問に投げられた直後に意識不明になり、約1ヶ月後に急性硬膜下血腫で死亡した村川康嗣(当時12歳)の柔道事故の真実を明らかにし、それを多くの方に知ってもらうためのブログです。
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米原駅で新幹線を降り、そこからタクシーで彦根市立病院へと向かった。

病院に到着し、エレベータが開くと、目の前に病室へ向かう妹がいた。
私の顔を見るなり妹は泣き崩れ、私はただ彼女に大丈夫だ、死ぬ訳が亡いと、言った。

康嗣は、緊急手術が終わってICUにいた。
依然意識は回復しておらず、危険な状態が続いていると医師から説明があったと妹から聞かされた。

ICUの待合室に行くと康嗣の父親と私の父親がいた。
着の身着のままで来た私の父は、待合室のソファーに座り呆然としていた。
私の顔を見ると、「よく帰ってきてくれた」と短く声をかけてくれた。
康嗣の父とも短く言葉を交わし、私はソファーに座った。

妹は、ICUでずっと康嗣の手を握り続けていた。
私は、しばらく病室に入れずにいた。

正直に言う。怖かったのだ。
自分の身内が、死と直面している状況を、私は受入れられずにいたのだ。

しばらくし、意を決して私は病室に入った。
ICUのベッドの上に、頭を包帯でまかれ、目をうつろに開き、口には呼吸器、腕からは点滴の管を繋がれた康嗣がいた。
妹は泣きながら、ずっと康嗣の手をさすっていた。

何ができるでも、何をするでもなく、私は、ただ、
「生きてくれ!
どんな状態であっても構わないから、生きていてくれ!」
と、その言葉だけを呪文のように、心のなかで強く叫び続けていた。

それから、朝まで長い時間が流れた。
私はまず父親を帰した。

それから、秦荘中学から、教師が何人か来た。

川島教頭は、東京に出張に行っていて、連絡をもらってすぐに戻ってきたと言った。
谷田学年主任も来た。

私は、彼らに「まず何が起ったのかをはっきりとさせて欲しい」と伝えた。
練習当時の事を柔道部の他の生徒さんに聞き取り調査をし、事故の状況を詳しく調べ、それを提出して欲しい、と。
そして、こうも言った。
私達は、こういう事件や事故が起った時に、学校側が真実を隠そうとするケースがある事を、メディアを通じて知っている
康嗣の事が、そうならないように、何があったのか、包み隠さず調べ、本当の事を報告して欲しい、と。
私は、福島の須賀川事件の事を思い出していた。

川島教頭は、
学校側としても何が起ったのか、事実を調べなければならないと思っている。それは、まったく同じ気持ちである」
と、私に言った。
翌日、聞き取り調査を行い、その結果を明日の午後に報告すると約束をしてもらった。

夜中になって、北村校長が康嗣を投げた一宮顧問を連れてやってきた。

当事者である一宮顧問に何が起ったのかを聞くと、
I顧問は、
「自分と練習をしている時に意識がなくなった。引き手を引いていたので、康嗣くんは頭を直接ぶつけていない。信じてください」
という内容の事を言った。
私は、一宮顧問に
「数日前に起った姫路の柔道事故の事を知っているか?」と尋ねた。
彼は、「知りません」と答えた。
更に私は、「では5月に青森で起った柔道事故の事を知っているか?」と尋ねた。
彼は、同じく「知りません」と答えた。

私は厭きれた。
柔道を指導するものが、同じ柔道の指導中に起った事故を把握していないのだ。
中学の柔道部の指導者とはこんなものなのかと愕然とした。
自分の教えているスポーツは、危険きわまりないスポーツであることをどこまで認識し、安全に注意を払っているのだろうと疑問を感じた。

北村校長には、先ほど教頭に言った事と同じ事を言った。
須賀川の事を話し、
「私は、学校が嘘をつく、という事を不幸にして知ってしまっている。この事が、そうならないように、是非起った事実をそのまま報告し、真実を明らかにして欲しい」
北村校長は、
「事実を至急調査し、決して嘘はつかない」と、明言をした


また、この時、私は校長に、警察に連絡を入れたのかを聞いた。
このような事件・事故が起った時に、警察に連絡する事は当然であるように思ったのだ。
校長は、
救急車を呼んだ段階で、救急隊から警察に連絡は入っているはずだ」と答えた。
救急隊が警察に連絡する?
その場では聞き流したが、私はそんな事があるのだろうかと疑問を感じていた。

校長達が帰ったあと、不審に思った私は直接警察署(東近江署)に連絡を入れた。
今日、秦荘中学校で起った事について、連絡は入っているか?
予想通り、警察には何も連絡が入っていなかった

私は、そこで秦荘中学校で柔道部の活動中に顧問に投げられた生徒が意識不明の重体であると告げた。

しばらくして、東近江署から捜査員が病院に来た。
妹や私に質問をし、病室に入り康嗣の写真等を撮り、帰って行った。

 
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【2009/07/29 23:26】 | 事故当日(2009年7月29日)の事
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2009年7月29日17時頃、
オフィスで仕事をしていた私は、ふと自分の携帯電話に着信があった事を知らせる点滅に気が付いた。
5分程前に妹からあった着信で、同時に留守番電話に妹からのメッセージが入っていた。
父親の体調がすぐれないことで妹からは何度か電話をもらっていたので、私はこの時も、父親の具合が悪くなったのではないかと不安にかられて留守番電話のメッセージを聞いた。

「お兄ちゃん!康嗣が、大変なことになった!」

そこには、涙声で、狼狽した妹の短いメッセージが残されていた。

何が起ったのか、まったく想像ができなかった。
康嗣が大変な事?
私は、その時には事故という言葉すら浮かばなかった。
私の身内に、私の家族に、そのような事が起るわけがないと、私は何故かそう思っていたのだ。

すぐに折り返し、妹の携帯に電話をいれる。
そこで、彼女から聞いた話は、

中学の柔道部の部活中に康嗣が意識不明になり今病院に運ばれている。
付き添っている中学の先生と話をしたが、意識がなく、瞳孔が開いた状態だと言われた。
今、自分も病院に向かっている。

心臓が脈打った。
血の気が引いて行くのが解った。

最後に、妹が、
「なぁ、お兄ちゃん、康嗣死にやる?康嗣死にやる?」
と何度も尋ねた。

私は、言葉を見つける事ができなかった。
「大丈夫だ・・・」と彼女に伝えた言葉は、おそらく私の不安をそのまま乗せた響きになっていただろう。

妹との電話を切った後、私は、実家と父親の携帯に電話を入れた。

やはり、詳しい事はわからない。
練習中に顧問に投げられた後、意識不明になった。
現在、病院に向かっているという事だけだった。

いくつかの事が頭に浮かんだ。
まず、康嗣は大丈夫なのか?という事。
意識がなく、瞳孔が開いた状態で、命は助かるものなのか?
私は、デスクのPCで即座に柔道の事故の検索を始めた。

調べれば調べる程、私の気持ちは暗くなった。
まず、柔道の事故の多さとその症状の重篤さ。

少し調べただけで、5月27日に青森県の藤崎中学で、中一の男子生徒が柔道部の練習中に意識不明になり、亡くなっていた事が解った。
また、わずか4日前の7月25日には兵庫県姫路市の日生高校で男子高校生が練習中に倒れ、翌日に亡くなられていた。

どちらも意識不明になった後に亡くなられている。

過去のケースも調べてみたが、WEBで見つかる言葉は意識不明、死亡、または植物状態、脳障害という言葉ばかり。

私は、病院にいる私の父親の携帯電話に、今からすぐに帰ると連絡をいれた。

のしかかる重い不安を抱えたまま、私はタクシーで東京駅に向かい、18時30分の新幹線に乗った。










【2009/07/29 17:55】 | 事故当日(2009年7月29日)の事
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