2009年7月29日滋賀県秦荘中学校の柔道部で顧問に投げられた直後に意識不明になり、約1ヶ月後に急性硬膜下血腫で死亡した村川康嗣(当時12歳)の柔道事故の真実を明らかにし、それを多くの方に知ってもらうためのブログです。
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本日は康嗣の命日です。
一昨年の今日、康嗣は意識が回復しないままに永久の旅立ちをしました。

8月初旬に、来週の30日に行われる民事提訴の第二回口頭弁論の準備書面が愛荘町及び元顧問から届きました。
30日の口頭弁論に触れる内容になりますので、本日は詳細な明記はさけますが、憤りしか感じないあまりにも無責任な内容です。

事故の原因を究明し、責任の所在をはっきりとさせる事、それが残された私達の使命だと思っています。
康嗣の墓前にそれが報告できるまで、たとえどんなに長くなろうとも、私達は決して闘う事をあきらめません。


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【2011/08/24 10:42】 | 康嗣の症状・術後の経過
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祥月命日の8月24日が近づいてきました。
三回忌法要は8月20日の土曜日にとりおこなうことになりました。

命日の一週間後、30日には民事提訴の第二回目の口頭弁論が行われます。


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【2011/08/18 14:39】 | 康嗣の症状・術後の経過
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祥月命日は8月24日ですが、本日一周忌の法要を行いました。

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【2010/08/21 07:22】 | 康嗣の症状・術後の経過
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康嗣くんのご冥福をお祈り申しあげます。
heppoko runner
 村川康嗣くんのご冥福を、心よりお祈り申しあげます。
 またご遺族のご無念、いかばかりかと拝察いたします。
 衷心よりお悔やみ申しあげます。

Re: 康嗣くんのご冥福をお祈り申しあげます。
Uncle Mustache
heppoko runner様

いつもコメントありがとうございます。
法要の最中に、思い出していたのは去年の事でした。
週末ごとに東京から滋賀に戻り、康嗣の病室に向かった事、病室で会うたびに痩せて行った康嗣の顔、日々変わっていった学校の対応。
世間では一年前の出来事でしょうが、私達家族には今も継続している現実である事を改めて感じました。

No title
りんご
村川康嗣さんのご冥福を、心よりお祈り申しあげます。

スーパーモーニングを、泣きながら見ています。
大変でしょうけれど、がんばってください。


はじめまして
SARA
テレビ拝見させて頂きました。

亡くなった御本人、遺族の方々の無念…
想像するにあまりあります…

真実を話し誠心誠意謝罪すると言う
人として最低限の事すら出来ない学校側や教育委員会に
激しい憤りを感じます。

同じ不幸を何度も繰り返さない為に
これ以上辛い思いをされる方が増えない為に
同じ子供を持つ保護者として何をすべきか
何が出来るのか…
考えていきたいと思います。

最後に…
甥御さんの御冥福を心よりお祈りしております。


テレビ朝日の番組をみて
東京のたけ
亡くなられた康嗣くん、御家族の皆さんの気持ちを考えると
番組を観てるのが辛くなるくらい、教育長たちの発言には腹がたちました…

軽々しい事は言えませんが、絶対に負けないで下さい!
康嗣くんのためにも…


No title
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康嗣さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私は中学校の教員です。
本日、スーパーモーニングを見ていたところ、この報道に接しました。
一教員の立場と、また、来年中学生になる娘がいるので、親の立場とで見ました。
自分の大事な子が、康嗣さんのような経過をたどって命をなくさなければならなくなってしまい、そしてその原因究明が明確になされないままにうやむやになってしまったとしたら…、TVで伯父様がたまらず発言なされた場面が放映されていましたが、私とて居ても立ってもいられず同じ行動を起こしたでしょう。机を蹴倒すぐらいのことはするかもしれません。
教員としての立場で考えても、「なんで?」と首をひねってしまうような顧問の行動と、教委・行政側の調査結果および説明でした…。
教育に携わる側としても、親の立場としても、いたたまれないことです。
私に何ができるわけではありませんが、事実の究明が迅速になされることを、そしてそれがお母様をして康嗣さんの霊前できちんと報告できる内容であることを切に祈るばかりです。とても人ごととは思えません。

初めまして
-
今回の事件の 顧問は非常勤教師です。何度も教員試験を受けていました不合格で本採用はされていない人物です。県にも、責任があると思います。
本当の柔道バカが指導していたのです。学校側は柔道部の存続させないといけないので 顧問として非常勤教師を。そして、顧問自身の柔道も 素晴らしいレベルではありませんでした。

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2009年8月26日
葬儀がおこなわれた。

私は、通夜も葬儀も学校関係者と愛荘町関係者の参列を断った。

康嗣の友だちが、たくさん来てくれた。

妹が最後に喪主の挨拶をした、その全文をここに掲載する。

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本日は、ご多用にもかかわりませず、ご会葬、ご焼香をたまわりまして、ありがとうございました。

おかげさまで、康嗣の葬儀、告別式をとどこおりなくすませ、これから出棺のはこびとなりました。

ありがとうございました。

 

7月29日。

あの日、こうじは元気に自転車で中学に向かいました。

朝、あれほど元気だった子供が、夕方には、口や鼻からチューブを入れられ、脳の腫れがひどいので、頭蓋骨を外されたまま、物も言えぬ姿になって病院の集中治療室のベッドに横たわっていました。

 

病院に運び込まれた翌日には、主治医の先生から、脳の損傷が酷く、絶望的だと宣告を受けました。

一週間後には、脳死になったと告げられました。

その翌日には、呼吸が止まりました。

私たち家族は、康嗣の心臓が動き続ける限り、延命措置を講じて欲しいとお願いをしました。

 

それから、私たちは日に日に、ゆっくりと死んで行くこうじを見守り続けるだけでした。

 

その間も、頭の腫れは、どんどん酷くなりました。

脳が晴れ続けるので、目が飛び出し、まぶたが閉じられなくなりました。

脳が腫れて、頭はどんどん肥大しますが、食事をとってないので、他の部分はやせ細っていきました。

日をおうごとに、状態は悪くなっていきました。

 

死ぬ事が解っている子供を見守る事しかできない事。

自分の子供に、ゆっくりと死が訪れる事を、ただ待つしかできない事。

それが、どういう事が、解っていただけるでしょうか?想像していただけるでしょうか?

 

今日、ここにいるこうじは、頭の腫れもなく、きれいな顔をしています。

でも、月曜日までのこうじは、ここにいるこうじの顔ではありませんでした。

ここにいるこうじが、頭も大きくなく、目も飛び出していず、奇麗な顔をしているのは、それは肥大した脳を取ってしまっているからです。

 

これが、私たち家族に起こった現実です。

 

入院してから27日間、呼吸が止まってから17日間。

こうじの心臓は動いてくれました。

呼吸が止まってからも、こうじは、17日間も頑張ってくれました。

 

きっと、こうじは何か言いたかったのだと思います。

何かを訴えたくて、こうじはずっと頑張っていたのだと思います。

 

康嗣は、将来は建築家になりたいという夢を持っていました。

これからの人生で、その夢に向かって、一歩ずつ、前へ進んでいく予定でした。

しかし、その夢は、無惨にも途中で断ち切られてしまいました。

 

康嗣が、何をしたというのでしょう?

何故、康嗣は、夢を取り上げられ、何故、康嗣は死ななければならなかったのでしょう?

 

学校に聞いても、応えてくれません。

 

 

 

昨晩も今日も、多くのこうじの友人の皆さんにきていただけました。

康嗣は、これからもっと皆さんと一緒の時間を過ごすはずでした。

 

もっと一緒に、遊びたかっただろうし、テスト勉強の苦労もわかちあいたかっただろうし、修学旅行にも行きたかっただろうし、恋愛話もしたかっただろうと思います。

 

康嗣は、みなさんとそういう時間を過ごす事はできなくなりましたが、皆さんが友達と一緒にいる時、何かの時に、ほんの少しでも康嗣の事を思い出してくれると嬉しいです。

 

そして、皆さんにお願いがあります。

 

たとえ相手が誰であろうと、それが学校の先生であろうと、間違っていると思う事、おかしいと思う事、無茶だと思う事には、それを断る勇気、おかしいと言う勇気を持ってください。

そして、何より、本当に何より、自分の身体を、自分の命を、大切にしてください。

 

保護者の皆さん、どうか、皆さんの子供の命を、全力で守ってあげてください。

 

そして、こんな悲しい事件が、もう二度と起こらないようにしてください。

 

康嗣の生涯は、12年という短いものでしたが、その人生の最後に、多くのお友だちが会いにきてくれたこと、多くの皆さんのお見送りをいただけたことを、喜んでいると思います。

 

ご参列いただきました皆さん、本日はありがとうございました。

皆さんのご厚情に重ねて御礼申し上げます。

ありがとうございました。 

【2009/08/26 19:00】 | 康嗣の症状・術後の経過
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7月29日の朝、「行ってきます」と言って出て行った康嗣が、27日ぶりに帰ってきた。


【2009/08/24 18:10】 | 康嗣の症状・術後の経過
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2009年8月24日午前2時6分
康嗣の心臓が止まった。 

自発呼吸が止まってから17日間、動いていた心臓が止まった。
 

【2009/08/24 02:06】 | 康嗣の症状・術後の経過
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2009年8月7日(金曜日)
脳死状態であると告げられた翌日、康嗣の自発呼吸が止まったことをK医師から知らされた。

自発呼吸が停止した後は、確実に心停止が起こる。
それが、いつ起るのかは解らないが覚悟をしてくださいと言われる。 

統計を調べてみると、自発呼吸の停止から1週間以内に8割くらいの方が心停止し、2週間までに9割くらいの方が心停止している事が解った。

妹は、心臓が動いている間は延命措置を講じてもらうようK医師にお願いをし、了承していただいた。

家族には、康嗣の命がゆっくりと消えて行くのを見る、地獄のような日々がこの日から始まった。

そしてこの日、妹は、PTSDであると診断をされた。 

 

【2009/08/07 10:44】 | 医師の説明
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2009年8月6日(木曜日)
朝にCTを撮った後、主治医のK医師より話があった。

右脳、脳幹の他に左脳まで損傷が及んだことを知らされる。

この時点で、脳の全機能が損害を受けており、機能が回復しないこと、いわゆる脳死の状態であると告げられた。

また、今回の事故について、必ず何らかの予兆があったはずで、その時に適切な処置をしていれば、このような事にはなっていないと明言された。

兆候があったのだ。
その兆候を見過ごされたから、康嗣は、こうなったのだ。

これは、やはり単なる不慮の事故ではない、起こるべくして起こった事故である。
私は、K医師の言葉でその事を確信した。

【2009/08/06 10:41】 | 医師の説明
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長い夜が明けたあと、妹が待合室に入ってきた。
今から手術をしていただいたK医師から説明があるので、同席をしてほしいと言われる。

私は妹とK医師から術後の説明を受けた。

・運び込まれたすぐにCTを撮り、右脳内に出血が認められた、非常に危険な状態であるので緊急手術を行った。

・開頭すると血がシャワーのように吹き出した。これは、以前から、徐々に出血がありそれが溜まってこうなったものではなく、一気に血管が切れて血が噴き出したからだと思われる。

・血は全て取り除いたが、右脳と脳幹が損傷をしており、非常に危険な状態である。

・また、血液によって圧迫されていた脳が腫れ上がってきたので、脳の一部を切除しなければならなかった

・脳の腫れは、1週間から2週間続くので、この2週間が山場であると思ってもらってよい。

・ただし、非常に危険な状態で、生存確率は10%未満。命が助かっても、いわゆる植物状態になる可能性が極めて高い。

と、告げられた。
また、この時に、頭部に外傷はなく、症状としては脳に過度な遠心力が加わり、その衝撃で血管が切れた症状に似ていると説明があった。

頭部に外傷はなく、過度な遠心力が加わり、血管が切れた。
その時には、私がそれがどういう状況で起るのか、まったく見当すらつかなかった。

また、頭部に外傷がないという部分だけを取り上げ、その後学校がこの事故は部活動の練習に起因しないのではないか、という論理展開をする事も予想をしていなかった。

K医師へお礼を申し上げ、私は一端実家に帰った。
午後から、聞き取り調査の結果を実家に持ってきてもらう約束になっていたのだ。

 

【2009/07/30 09:30】 | 医師の説明
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