2009年7月29日滋賀県秦荘中学校の柔道部で顧問に投げられた直後に意識不明になり、約1ヶ月後に急性硬膜下血腫で死亡した村川康嗣(当時12歳)の柔道事故の真実を明らかにし、それを多くの方に知ってもらうためのブログです。
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事件の翌日(2009年7月30日)、町の教育委員会と中学校により記者会見が開かれた。

この事は、私が警察に通報したことによって行われたと思っている。
町も中学も、警察の捜査が入ることにより公式発表をせざるをえなくなったのだ。

昨日の夜の北村校長の言葉を信じて、私が警察に通報しなければ事件の解明はもっと遅れた筈であり、警察の介入もかなり遅くなっていたはずである
当然、町や学校側の公式な発表も少なくとも翌日の時点では行われていなかったと確信している。

庁舎には、父親の車に乗せてもらって来ていた。
父親には、車の中で待っていてもらいたいと言った。
年老いた父は、かわいがった初孫がこのような事になり、精神的に疲弊しているのがよく解った。
これからの記者会見では、おそらく通り一遍のことしか言わないだろうから、そのようなものを聞かせて父の心労が高まる事を恐れたのだ。
父は、解ったと言った。

記者会見の時、私は記者席で学校側の説明を聞いていた。

事故の経緯が報告された。
「柔道部の部活動中に事故があった」
「現在、彦根市立病院で治療中であるが重篤な状態が続いている」
「本来安全であるべき学校で、このような事が起り申し訳ない」とK校長とW教育長が頭を下げた。
事故の原因その他の詳細について記者から質問が飛んだが、学校も町も調査中であるとしただけであった。

この場では、私は基本的に発言をするつもりはなかった。
私が記者会見の場に行ったのは、そこで事実と違う発表があることを危惧したからだ。
福島の事件の事が、昨夜以来ずっと私の頭の中にはあった。
私がその場にいる事で、町も学校も無責任な発言はしないだろうと思っていたのだ。

が、父親が吠えた。
父は、会見の始まる少し前に、やはり会場に入ってきたのだ。
何もなければ良いがと思ったが、やはり通り一遍の会見内容に我慢ができなくなったのだろう。

「子供を何遍も何遍も投げて殺したんやないか!本当の事を言え!」
祖父としての悲痛な叫びが響いた。
会見の席に来ていた記者達は、ざわめいた。

父は憤りだけで話をしている、その事で事実と違う事を家族から発信する訳にはいかないと思った。

私は、今の説明では、部活動中に起った事故の印象を受けるが、今日いただいた生徒の聞き取りに調査によるとおよそ適切ではないと思われる指導があったと報告されていると発言をした。

そして、私たち家族は、この件での取材を拒否しないことをその場にいたマスコミ各社の方に伝えた。


以下、翌日に報道された記事を引用する
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柔道部の練習中に中1男子脳内出血で重体 

滋賀県愛荘町の町立秦荘中学校で29日、柔道部1年の 
男子生徒(12)が顧問の男性講師(27)と技の練習中に畳に倒れ、 
脳内出血を起こして重体になったことが30日、分かった。 

生徒は4月に入部して柔道を始めた初心者で、講師は柔道3段。 
東近江署は業務上過失傷害の疑いもあるとみて、関係者から当時の状況を詳しく聴いている。 

学校の説明では、生徒は29日午後1時ごろ、ほかの部員13人と柔道場で練習を開始。 
4時10分ごろ、生徒が大外刈りをかけて講師が技を返す練習を2、3回繰り返した後、畳に倒れた。 
意識がなく、運ばれた病院で急性硬膜下血腫と診断された。 
同日夜に手術を受けたが意識は戻っていない。 

北村孝弘校長(55)は「1日も早い回復を願っている。 
部活動中のあってはならない事故で、本人や家族に申し訳ない」と話した。(共同) 

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【2009/07/30 15:40】 | 愛荘町の説明・対応
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午後1時過ぎ、秦荘中学校から谷田学年主任、康嗣の担任の池下教諭が実家に来た。

この日の午前10時頃から、昨日の練習に出ていた柔道部の生徒を学校に集め、複数の教師によって聞き取り調査を行い、その資料を持参されたのだ。

 私は昨晩病院で、妹から、柔道部の顧問の一宮顧問に対し、
「康嗣が運動未経験者であり喘息の持病がある。
他の生徒さんと同じ練習はできないと思うが、長い目でみてあげほしい。
いきなり激しい練習はできないと思うので、別メニューで練習をお願いしたい」
再三にわたり申し入れをしていたと聞かされていた。

ちなみに、当時秦荘中学校の柔道部に入部した6人の一年生のうち、まったくの柔道未経験者は康嗣ともう一人の生徒さんだけで、他の4名は小学校からの経験者だった。

ここで、康嗣の持病である喘息について触れる。
喘息の持病のある子供が柔道をするという事について、それがそのまま伝われば一般的には違和感があるかもしれない。
ただし、康嗣の場合は、柔道部に入る前にかかりつけの医師に相談をし、医師からも運動はした方が良いと勧められていたのだ。

学校側は、聞き取り調査をそれぞれの生徒さんに行い、その原紙とそれを打ち直したものを資料として持参していた。

その資料の全てをお見せはできないが、以下に抜粋して記載する。


・1年生は大会の出来がよくなかったので上級生と乱取り。
(乱取りは)1年生と2・3年生が組む形で(この形式での乱取りは初めて)
・1年生中心のメニューだった。乱取り練習がいつもより多く思えるので、村川君だけでなく1年生全体がしんどそうであった。
・1年生の中には泣いている子(康嗣君ではない)もいて、練習をしんどがっているようにも見えた。

・乱取り(1年生中心の練習)2分を何本もやっていく(本数指定なし)。無制限でI先生の「ぬけろ」という指示で上がる。
(乱取りは)1年生がもとだち、1年生と2年、3年が組む形で、2年と3年が組む事はなかった。先生から見て出来ている1年生から順に急速。康嗣君が最後まで残った。
(康嗣は)いつもよりフラフラしているように見えた。
・いつもよりしんどそう
(疲れているよう)だった。2・3年生は1年生としか乱取りをおこなわなかったため、体力的にも余裕があり、いつもより動きも良く、技も早いと感じた。
・練習はいつもしんどい(疲れる)けど、昨日は(乱取りが)無制限ということもあってしんどかった。
・締めて落ちるまでやるように指示(やめの合図をしてもしめられ続ける)
・普段はしめはない

・康嗣君は(乱取り)10本目ぐらいで行きが荒かった。「ハア、ハア」。20本目くらいでフラフラ、フニャフニャ。下にしゃくるとすぐ倒れて、投げられてもすぐに立てない様子。
(康嗣は)最後のほうは動きがなくて立ち上がるのにも一苦労しているように見えた。
・康嗣君はいつもより元気がないようにみえた。声、汗がでていなかった。
・普段より顔が赤かった。乱取り中に顔が赤かった。普段はそんなことはない。
・道着を握る力がいつもより弱かった。
・頭は
(乱取り中に)何回か打っているだろう。彼は(康嗣は)受け身が上手ではない。
・I先生とする時、すでに康嗣くんはフラフラしていた。
・先生とやって、しめる、落ちる、立ち上がる。
・康嗣君は先生との乱取りのとき、いつもと違って自分から行かなかった。ゆっくりとかかっていった。
・一宮先生が3本くらい投げたあと、康嗣君は立ち上がれなくなった。(先生の投げは早かった)



私はそこに書かれていた生徒さんの証言に、衝撃を受けた。

当日の練習は、試合で成果のでなかった1年生主体の練習であり、1年生対上級生という形式での乱取りがこの日初めて、無制限で行われていたこと。
その乱取りの最中に、一宮講師が絞め技をする生徒に対し、「落ちるまで(気絶するまで)締め続けろ」と、およそ中学校の部活動として適切ではないと思われる指導をしていたこと。

また、この日の乱取りは一宮講師がよく声が出ている等と判断した生徒から練習を終了させており、声が出ていないという理由で、康嗣が最後まで居残らされて乱取りを続けさせられていた事。

康嗣の乱取りの相手をした上級生の多くが、康嗣はフラフラで握力も弱かった証言しているにも関わらず、最後にI講師自らが「まだやれる」と判断し、康嗣の乱取りの相手となり、康嗣を返し技で投げている事。
等が解った。

私は激怒した。
妹からの再三の申し入れを無視し、初心者である康嗣に配慮するよりも、むしろ初心者により過酷な練習を課していた事。
また落ちるまで締め続けろなどという安全を軽視した指導が行われていた事。

これが、適切な指導なのか?
これは、起るべくして起った事件ではないのか?

資料を持ってきた学年主任の谷田教諭は、私の問いに
「中学校で行われる指導の範囲とは思えない」
と苦慮の表情で答えられた。

その後、私は中学校の北村校長に電話を入れた。
この聞き取り調査の内容をどう思っているのかを尋ねた。
北村校長は、
「生徒の聞き取り内容と一宮との聞き取りの差に愕然としている」
と答えた


中学校の持参した資料によって、私はこの事件が単なる練習中の不幸な事故ではないと確信をした。
康嗣は、命が助かる機会があったにもかかわらず、その機会を与えられず、無謀な練習を継続させられたことにより命を失ったのだ。

後日、この事は家族の調査で、日常の部活動の指導内容、初心者への指導内容が解ることにより、更に明らかになっていくのだが、それはまた後日改めて記載したい。


ただし、私はこの時点では、まだ、学校側が真実を隠蔽しようとしているとは思っていなかった。
真摯に原因を究明しようという姿勢があるのだと思っていた。

この日の午後、教育委員会と学校側の記者会見が愛荘町役場の秦荘庁舎で行われる事になった。


 

【2009/07/30 13:34】 | 学校側の説明・対応
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長い夜が明けたあと、妹が待合室に入ってきた。
今から手術をしていただいたK医師から説明があるので、同席をしてほしいと言われる。

私は妹とK医師から術後の説明を受けた。

・運び込まれたすぐにCTを撮り、右脳内に出血が認められた、非常に危険な状態であるので緊急手術を行った。

・開頭すると血がシャワーのように吹き出した。これは、以前から、徐々に出血がありそれが溜まってこうなったものではなく、一気に血管が切れて血が噴き出したからだと思われる。

・血は全て取り除いたが、右脳と脳幹が損傷をしており、非常に危険な状態である。

・また、血液によって圧迫されていた脳が腫れ上がってきたので、脳の一部を切除しなければならなかった

・脳の腫れは、1週間から2週間続くので、この2週間が山場であると思ってもらってよい。

・ただし、非常に危険な状態で、生存確率は10%未満。命が助かっても、いわゆる植物状態になる可能性が極めて高い。

と、告げられた。
また、この時に、頭部に外傷はなく、症状としては脳に過度な遠心力が加わり、その衝撃で血管が切れた症状に似ていると説明があった。

頭部に外傷はなく、過度な遠心力が加わり、血管が切れた。
その時には、私がそれがどういう状況で起るのか、まったく見当すらつかなかった。

また、頭部に外傷がないという部分だけを取り上げ、その後学校がこの事故は部活動の練習に起因しないのではないか、という論理展開をする事も予想をしていなかった。

K医師へお礼を申し上げ、私は一端実家に帰った。
午後から、聞き取り調査の結果を実家に持ってきてもらう約束になっていたのだ。

 

【2009/07/30 09:30】 | 医師の説明
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米原駅で新幹線を降り、そこからタクシーで彦根市立病院へと向かった。

病院に到着し、エレベータが開くと、目の前に病室へ向かう妹がいた。
私の顔を見るなり妹は泣き崩れ、私はただ彼女に大丈夫だ、死ぬ訳が亡いと、言った。

康嗣は、緊急手術が終わってICUにいた。
依然意識は回復しておらず、危険な状態が続いていると医師から説明があったと妹から聞かされた。

ICUの待合室に行くと康嗣の父親と私の父親がいた。
着の身着のままで来た私の父は、待合室のソファーに座り呆然としていた。
私の顔を見ると、「よく帰ってきてくれた」と短く声をかけてくれた。
康嗣の父とも短く言葉を交わし、私はソファーに座った。

妹は、ICUでずっと康嗣の手を握り続けていた。
私は、しばらく病室に入れずにいた。

正直に言う。怖かったのだ。
自分の身内が、死と直面している状況を、私は受入れられずにいたのだ。

しばらくし、意を決して私は病室に入った。
ICUのベッドの上に、頭を包帯でまかれ、目をうつろに開き、口には呼吸器、腕からは点滴の管を繋がれた康嗣がいた。
妹は泣きながら、ずっと康嗣の手をさすっていた。

何ができるでも、何をするでもなく、私は、ただ、
「生きてくれ!
どんな状態であっても構わないから、生きていてくれ!」
と、その言葉だけを呪文のように、心のなかで強く叫び続けていた。

それから、朝まで長い時間が流れた。
私はまず父親を帰した。

それから、秦荘中学から、教師が何人か来た。

川島教頭は、東京に出張に行っていて、連絡をもらってすぐに戻ってきたと言った。
谷田学年主任も来た。

私は、彼らに「まず何が起ったのかをはっきりとさせて欲しい」と伝えた。
練習当時の事を柔道部の他の生徒さんに聞き取り調査をし、事故の状況を詳しく調べ、それを提出して欲しい、と。
そして、こうも言った。
私達は、こういう事件や事故が起った時に、学校側が真実を隠そうとするケースがある事を、メディアを通じて知っている
康嗣の事が、そうならないように、何があったのか、包み隠さず調べ、本当の事を報告して欲しい、と。
私は、福島の須賀川事件の事を思い出していた。

川島教頭は、
学校側としても何が起ったのか、事実を調べなければならないと思っている。それは、まったく同じ気持ちである」
と、私に言った。
翌日、聞き取り調査を行い、その結果を明日の午後に報告すると約束をしてもらった。

夜中になって、北村校長が康嗣を投げた一宮顧問を連れてやってきた。

当事者である一宮顧問に何が起ったのかを聞くと、
I顧問は、
「自分と練習をしている時に意識がなくなった。引き手を引いていたので、康嗣くんは頭を直接ぶつけていない。信じてください」
という内容の事を言った。
私は、一宮顧問に
「数日前に起った姫路の柔道事故の事を知っているか?」と尋ねた。
彼は、「知りません」と答えた。
更に私は、「では5月に青森で起った柔道事故の事を知っているか?」と尋ねた。
彼は、同じく「知りません」と答えた。

私は厭きれた。
柔道を指導するものが、同じ柔道の指導中に起った事故を把握していないのだ。
中学の柔道部の指導者とはこんなものなのかと愕然とした。
自分の教えているスポーツは、危険きわまりないスポーツであることをどこまで認識し、安全に注意を払っているのだろうと疑問を感じた。

北村校長には、先ほど教頭に言った事と同じ事を言った。
須賀川の事を話し、
「私は、学校が嘘をつく、という事を不幸にして知ってしまっている。この事が、そうならないように、是非起った事実をそのまま報告し、真実を明らかにして欲しい」
北村校長は、
「事実を至急調査し、決して嘘はつかない」と、明言をした


また、この時、私は校長に、警察に連絡を入れたのかを聞いた。
このような事件・事故が起った時に、警察に連絡する事は当然であるように思ったのだ。
校長は、
救急車を呼んだ段階で、救急隊から警察に連絡は入っているはずだ」と答えた。
救急隊が警察に連絡する?
その場では聞き流したが、私はそんな事があるのだろうかと疑問を感じていた。

校長達が帰ったあと、不審に思った私は直接警察署(東近江署)に連絡を入れた。
今日、秦荘中学校で起った事について、連絡は入っているか?
予想通り、警察には何も連絡が入っていなかった

私は、そこで秦荘中学校で柔道部の活動中に顧問に投げられた生徒が意識不明の重体であると告げた。

しばらくして、東近江署から捜査員が病院に来た。
妹や私に質問をし、病室に入り康嗣の写真等を撮り、帰って行った。

 
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【2009/07/29 23:26】 | 事故当日(2009年7月29日)の事
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2009年7月29日17時頃、
オフィスで仕事をしていた私は、ふと自分の携帯電話に着信があった事を知らせる点滅に気が付いた。
5分程前に妹からあった着信で、同時に留守番電話に妹からのメッセージが入っていた。
父親の体調がすぐれないことで妹からは何度か電話をもらっていたので、私はこの時も、父親の具合が悪くなったのではないかと不安にかられて留守番電話のメッセージを聞いた。

「お兄ちゃん!康嗣が、大変なことになった!」

そこには、涙声で、狼狽した妹の短いメッセージが残されていた。

何が起ったのか、まったく想像ができなかった。
康嗣が大変な事?
私は、その時には事故という言葉すら浮かばなかった。
私の身内に、私の家族に、そのような事が起るわけがないと、私は何故かそう思っていたのだ。

すぐに折り返し、妹の携帯に電話をいれる。
そこで、彼女から聞いた話は、

中学の柔道部の部活中に康嗣が意識不明になり今病院に運ばれている。
付き添っている中学の先生と話をしたが、意識がなく、瞳孔が開いた状態だと言われた。
今、自分も病院に向かっている。

心臓が脈打った。
血の気が引いて行くのが解った。

最後に、妹が、
「なぁ、お兄ちゃん、康嗣死にやる?康嗣死にやる?」
と何度も尋ねた。

私は、言葉を見つける事ができなかった。
「大丈夫だ・・・」と彼女に伝えた言葉は、おそらく私の不安をそのまま乗せた響きになっていただろう。

妹との電話を切った後、私は、実家と父親の携帯に電話を入れた。

やはり、詳しい事はわからない。
練習中に顧問に投げられた後、意識不明になった。
現在、病院に向かっているという事だけだった。

いくつかの事が頭に浮かんだ。
まず、康嗣は大丈夫なのか?という事。
意識がなく、瞳孔が開いた状態で、命は助かるものなのか?
私は、デスクのPCで即座に柔道の事故の検索を始めた。

調べれば調べる程、私の気持ちは暗くなった。
まず、柔道の事故の多さとその症状の重篤さ。

少し調べただけで、5月27日に青森県の藤崎中学で、中一の男子生徒が柔道部の練習中に意識不明になり、亡くなっていた事が解った。
また、わずか4日前の7月25日には兵庫県姫路市の日生高校で男子高校生が練習中に倒れ、翌日に亡くなられていた。

どちらも意識不明になった後に亡くなられている。

過去のケースも調べてみたが、WEBで見つかる言葉は意識不明、死亡、または植物状態、脳障害という言葉ばかり。

私は、病院にいる私の父親の携帯電話に、今からすぐに帰ると連絡をいれた。

のしかかる重い不安を抱えたまま、私はタクシーで東京駅に向かい、18時30分の新幹線に乗った。









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【2009/07/29 17:55】 | 事故当日(2009年7月29日)の事
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2009年7月29日に滋賀県愛荘町立秦荘中学校で柔道部の部活動中に事故が起りました。

私の甥、村川康嗣(当時12歳)が当時27歳の柔道部顧問のI講師に投げられた直後に意識不明になり、硬膜下血腫を起こしたのです。
救急搬送された病院で緊急手術を受けましたが、意識が回復することなく、約1ヶ月後の8月24日午前2時に死亡しました。

康嗣は、何故事故に合わなければならなかったのか、何故死ななければならなかったのか。
このブログは、家族の目を通し、事故の事実を明らかにし、それを多くの方に知ってもらうためのブログです。

また、この事故について語られる様々な噂や憶測や嘘が、さも家族から出た言葉のように捉えられることを防ぐためでもあります。

多くの方は、この事件について断片的な情報しか持ち合わせてないと思います。
その断片的な情報の中で、様々な方が様々ことを語り、様々な噂や憶測や嘘が流れています。

しかし、事実は、あるいは情報は、家族の元に集約されるものです。
第三者による事故原因の医学的な考察、様々な医学論文、多発している学校の柔道事故に関する膨大な資料、捜査情報、当時の部活の指導内容、柔道の専門家による考察、等々。

家族の元に集約された、それらの様々な情報を、冷静に判断していくと、今回の事件が何故起り、何故康嗣が死ななければいけなかったのか、その原因はどこにあり、誰に、あるいはどこにその責任があるのか、が見えてきます。

このブログでは、それらの情報を開示しながら、この事件の真実を明らかにしていきたいと思っています。


 
2010年3月21日

 

【2009/07/29 17:50】 | 初めに
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